その背景には、1988年12月から始まった朝米間の接触、盧泰愚大統領の「北方外交」と南北間の対話の進展があり、先を越された中米関係(1972年米中共同声明)の轍を踏まないようにしようとする日本外交の意図があった。それに加え、7年間拘留中の「第十八富士山丸」船員たちの釈放という目的もあった。

 一方、朝鮮政府の立場から見ると、冷戦の終結、韓ソの接近と、それにともなう朝ソ関係の冷え込みという危機状況からの打開策を、改めて日本との「国交正常化」に求めた。
 

金日成主席との会談で発表された三党共同宣言

Q 日朝双方がこの頃国交正常化交渉に前向きな姿勢になっていたのですね。

 こうして1990年9月24日から28日まで、当時の海部俊樹首相の親書を携えて、自民党代表団(金丸信団長)、社会党代表団(田辺誠団長)の歴史的な朝鮮訪問が実現した。政治家、外務省官僚、企業人、マスメディアなど、総勢89人であった。

 26日夜、金日成主席は金丸信団長との単独会談の場で「朝日国交正常化交渉を始めよう」と、突然持ち掛けてきた。金丸団長はこの提案に驚いたものの、これを承諾した。

 そして28日に「朝日関係に関する三党(朝鮮労働党・自由民主党・日本社会党)共同宣言」が発表されることになった。

 その骨子は次の通りである。
・過去の36年間と戦後45年間に朝鮮人民が受けた損失に対して、公式的に謝罪し、償う。
・在日朝鮮人の法的地位を保証する。
・地球上のすべての地域から「核の脅威」をなくす。
・国交樹立のための政府間交渉を11月中に始める。

 三党共同宣言でもっとも大事な内容は、「36年間の植民地支配と戦後45年間の国交断絶の関係についての謝罪と償いを行う」ことを発表したことである。

 実務協議では白熱した議論が交わされたが、最後は金丸団長の鶴の一声で「償い」の文言を入れることが決まった。計5時間におよぶ単独会談において虚心坦懐に議論を尽くすなかで、金主席と金丸団長との信頼関係が培われたのであろう。

三党共同宣言と離れて進められていく日朝交渉

 その後、同年11月からの予備会談を経て、1991年1月から第1回本会談が始まった。

 会談では日本政府は「三党共同宣言には拘束されない」と繰り返し述べたが、これは日本政府の自己矛盾をさらすものではなかろうか。政権党である自民党を代表して金丸信が署名している。しかも日朝関係正常化については竹下首相の要請で政府、自民党、社会党の三者で実務協議が行われ、訪朝団は海部首相の親書まで持参しており、外務省から補佐官などアジア局審議官以下5人が参加していたのを見ても、自民党が日本政府とまったく関係ないと見ることはできないだろう。

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