鴨緑江中央が中朝国境線ではない

鴨緑江中央が中朝国境線ではない

夜間は中国側のみライトアップされる中朝国境の鉄橋

鴨緑江中央が中朝国境線ではない

 中朝国境を流れる鴨緑江の観光名物といえば遊覧船。圧倒的に中国側の遊覧船が多い中、たまに北朝鮮側の遊覧船や移動船を見つけることができる。

 今回は、丹東定点ウォッチャーによる写真で比較する北朝鮮遊覧船についてお伝えする。
  
 中朝の国境線は、地図上では鴨緑江の中間付近を走っているが、これは正しくない。なぜなら、以前にもお伝えしたと通り鴨緑江にある中洲の9割ほどは北朝鮮領土扱いとなっている。そのため中国側に近い中洲も北朝鮮領土ということもあり、河川の中央部分で国境線を引くことはできない。つまり、鴨緑江のどこまで行けば北朝鮮領土などのかという明確な境界線は河川上には存在しない。

 国際法では、北朝鮮側へ片足を踏みしめただけでは上陸とはみなされない。両足で立って初めて上陸と定義される。あくまで国際法上の話なので、実際に試すと撃ち殺される可能性が高いので絶対に試さないで欲しい。

 今回ご紹介する北朝鮮遊覧船、前方先端には「民興433」と書かれている船だ。

2005年撮影の民興433その1

 まずご紹介するのは、2005年撮影の民興433。手を降っている小学生くらいの児童たちの胸元には北朝鮮の子どもたちではお馴染みの赤いスカーフや先頭にいる女性の左胸には指導者バッジが確認できる。

撮影者へ手をふる2005年撮影の民興433その2。後ろには中国の遊覧船が

 続いて同じく2005年撮影の同船。煙突には北朝鮮国旗がデザインされているのでひと目で分かる。

 撮影者は、丹東側から撮影しているのだが、子どもたちが撮影者へ手をふっていることが分かる。また、民興433の後ろには中国の遊覧船があるという、ちょっと不思議な構図になっている。

停泊する民興433(2007年撮影)。後ろの道は北朝鮮・新義州

 さて、続いては、2007年に新義州側に停泊中の民興433を撮影したもの。433だけ左側に写り込んでいる。操作室前には赤字で「節約」と書かれている。

丹東側のすぐ近くを航行する民興433(2019年8月撮影)

 それから、12年後の2019年8月10日撮影の民興433の写真を入手したで比較してみたい。

 どう思うだろうか。乗客たちは、ジャージを着ており、体格や血色もよさそうだし、一眼レフカメラと思われるカメラで撮影している姿も確認できるので、一瞬、中国人ではないかと思ってしまう(中国の中学、高校は日本でいう制服はなく、カラフルなジャージが制服代わりの学校が一般的)。ジャージのためか指導者バッチも確認できない。

 しかし、船体写真を比較すると2005年や2007年と同じように見えるし、多くが隠れているが煙突の北朝鮮国旗もちらりと確認できる。

 この写真を複数の中国朝鮮族へ見てもらうと、「確かに中国人のようにも見えますが、(北)朝鮮人でしょうね。女性の顔と男性の髪型から分かります。体格がいいので彼らは運動選手なのではないでしょうか?」(瀋陽の朝鮮族)

 この写真は、右側に中朝友誼橋が写っていることから分かるように、丹東側から数メートルのところをゆっくりと遊覧していたものだ。

 14年の年月が流れ、船舶は変わっていないが、北朝鮮人たちには変化を感じることができる。

後方に自転車が確認できる北朝鮮の移動船(2015年撮影・丹東新区)

 冒頭で、北朝鮮側からの遊覧船は少ないと紹介したが、鴨緑江を航行する北朝鮮船舶の多くは通常の交通機関としての移動船だ。2015年に撮影した別の移動船を最後にご紹介する。

 北朝鮮人の生活の足である自転車を乗せていることが確認できる。遊覧船ではなく、交通手段としての移動船ということが分かる。

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