外国食であるキムチが世界1浸透する日本
韓国料理が辛くなったのは南北分断後?北朝鮮料理との違い その1の続き。
今や「Kimchi」で世界的な知名度を誇るキムチ。日本でも当たり前のようにスーパーマーケットやコンビニエンスストアに並び、全国どこの居酒屋メニューにもあるくらい浸透している。世界でこれだけキムチを見かける国があるのかというほどキムチは、私たちの生活に溶け込んでいる。
キムチといえば、漬け込んだ白菜に唐辛子などを練り込んだピリ辛味の発酵食品だ。世界的にも野菜の発酵食は珍しいものらしい。
そのキムチの歴史について、韓国農協の日本語サイトによると紀元前に中国で生まれた塩漬けが百済へ伝わり現在のキムチへとつながって約1300年の歴史があると紹介している。
沈菜(チムチェ)はサンショウやシソを塩漬けしたもの
キムチの語源は、「沈菜(チムチェ)」が変化したもので、漢字の通り野菜を漬けたものだった。しかし、現在、私たちがイメージするキムチとなるのは、ずっと後の話で、白菜(結球型白菜)が朝鮮半島へ伝わった19世紀後半となるので100年ほど前となる。さらに辛くなったのは、前回ご紹介した通り朝鮮戦争後なので60年ほどの歴史となる。
白菜が登場するまでは、ニンニク、サンショウ、ショウガ、シソなど現在の韓国料理でもよく登場する自生の植物を塩漬けにしたものをチムチェと呼んでいたようだ。
大航海時代の16世紀初頭に南米からヨーロッパへ伝えられた唐辛子が朝鮮半島へもたらされたのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵だと言われる。当時は現在のような調味料として使われていたのではなく、冬場のしもやけ対策で爪先部分へ敷いたり、薬剤としての使用が一般的だった。
北朝鮮 『民族料理の自慢キムチ (민족음식의 자랑 김치)』 KCTV 2016/05/23 日本語字幕付き
キムチを漬ける季節による呼び方や材料による違いなどがよく分かる。
革命的な変化を与える唐辛子が南米→ヨーロッパ→日本→朝鮮半島へ渡来
日本へ唐辛子が伝わったのは、16世紀半ばスペイン船によって九州の大名へという説が有力となっている。
唐辛子がヨーロッパへ伝わってから約半世紀で日本へ、そしてさらに半世紀後に朝鮮半島へ伝えられたことになる。
1612年に李晬光が編纂した『芝峰類説(チボンリュソル)』という文献に登場する記録には猛毒として紹介されているが、これが現存する記録では朝鮮半島での唐辛子の初登場となる。
さらに時代が下り18世紀後半になるとコチュジャン(唐辛子味噌)が登場し、キムチの変色防止と臭み除去に唐辛子が使われるようになったとされる。これにより現在、私たちが知るキムチの形に近づいたことになる。もっとも庶民がキムチを食するようになったのは19世紀に入ってからとなる。
朝鮮戦争後、辛くなる韓国キムチとオリジナルに近い北朝鮮キムチ
現在、平壌など北朝鮮の食べられるキムチは水キムチと呼ばれるお新香や浅漬けに唐辛子をパラリとまぶしたようなものか水なしのキムチも韓国ほど辛くはない。実は北朝鮮のキムチのほうが200年前のキムチ誕生時の味に近い原型と考えられる。