川崎のちょんの間は絶景。関東各地に本番エステも

川崎のちょんの間は絶景。関東各地に本番エステも

川崎堀之内で往時には通りを埋め尽くしたちょんの間

川崎のちょんの間は絶景。関東各地に本番エステも

 日本国内の韓国フーゾクと言えば、かつて首都圏では“ちょんの間”が一番華やかなものだった。横浜黄金町や川崎堀之内では、夜になるとセクシーな姿をした韓国美女が店頭から客を誘っていた。特に川崎では、複数の美女たちがガラス窓越しに半裸を見せて誘引する様子が、まるで本場ソウルのちょんの間街「オーパルパル」を思わせたものだ。

 地方に目を向けてみると、温泉街に韓国女性のスナック型ちょんの間があった。静岡県の伊豆長岡温泉、長野県の上山田温泉などで、妖しげな看板のスナックの内外で遊ぶことができた。また、東京大塚や群馬伊勢崎など関東の各地には、本番韓国エステも点在していた。マッサージやアカスリの後に、特別に最後までできたのである。

 横浜と川崎のちょんの間は2000年代初頭の浄化作戦により消滅。温泉街の韓国スナックも不景気により元気なし。衰退気味となっている。

  • 横浜黄金町のちょんの間

  • 関東近郊にあった韓国エステ店

  • 本来は小料理店的な扱いだったちょんの間(川崎堀之内)

破竹の勢いがあった韓国パブ。高級クラブでは連れ出しも

破竹の勢いがあった韓国パブ。高級クラブでは連れ出しも

新大久保で大人気だった大人のパーティー

破竹の勢いがあった韓国パブ。高級クラブでは連れ出しも

 90年代後半から2000年代前半にかけて、日本中の歓楽街で大流行していたのが韓国クラブだ。そこで働く韓国女性は、背が高くスレンダー、おまけに色白で細面の美人。さらに儒教文化の影響から男性に尽くす習慣が身に付いており、その魅力にハマる日本人男性が続出していた。福井県の敦賀では、歓楽街の本町に韓国クラブが増殖し、原発関係施設で働く単身赴任の男性労働者を虜にしていた。

 新宿歌舞伎町の高級クラブでは、連れ出しもできた。プレイ料金の相場は3万円。ラブホ代と飲み代と合わせると5万円を超えるお大尽遊びであった。大阪の今里では、ちょんの間街の近くに韓国人街があり、そこのパブでは美しい韓国女性と手軽な料金でお酒を飲めた。また、東京の新大久保では大人のパーティーが盛んで、若い韓国娘たちと会話を楽しんでから、ヤリ部屋で瞬間恋愛を楽しめた。

 2000年代前半までは、韓国系の水商売店は破竹の勢いがあったのである。

リーマンショック後に衰退。現在は出張型店が残るのみ

リーマンショック後に衰退。現在は出張型店が残るのみ

リーマンショック後は散娼化して出張型が主流となる

リーマンショック後に衰退。現在は出張型店が残るのみ

 潮目が変わったのは、2008年秋のリーマンショックの後であった。2010年以降になると、世界同時不況による日本経済の縮小にともない、全国の歓楽街のネオンの光が次第に減少していった。韓国系のクラブやパブも不景気に比例して少なくなり、2019年現在は、主な業種はデリバリーのヘルスやエステといった出張型フーゾクが残るのみとなっている。

 東京鶯谷では韓国系のデリヘルが盛んで、最近は細分化が進み、学園系の店やパイパンの専門店も登場している。人妻店もあるほか、24時間受付可能な店があるのもありがたい。名古屋には複数の女のコを直接見てから選べる店もある。また、大阪には60分8000円から遊べる激安店もある。

 日本国内の韓国系フーゾクは、今や完全に目隠しされた感がある。店舗型が消滅し、表向きは目に見えない無店舗型がひっそりと営業を続けている。散娼化され、不可視化された韓国系フーゾクは、今後もなくならないニーズとともに、静かに生き残っていくに違いないだろう。

  • アカスリマッサージなどを謳う韓国エステ

  • 韓国人以外にもタイ、フィリピン、台湾などの女性もいた横浜黄金町

取材・文 イコマ師匠
1973年愛知県安城市生まれ。風俗情報誌『俺の旅』の元編集長。徹底した現場取材をモットーとし、全国の歓楽街を完全踏破。足掛け15年間出版社に勤務した後、『俺の旅』の商標権を持って独立。現在はフリーの編集記者として活動中。様々な雑誌やウェブサイト、自らのツイッターなどで『俺の旅』を継続している。
@ikomashisyo

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