北朝鮮における「観光」の意味

北朝鮮における「観光」の意味

観光地「開城」の土産物店。左女性の手にはスマートフォンが握られている

北朝鮮観光の歴史からTVでは伝わらない北朝鮮の姿が見えてくる 礒﨑敦仁慶應義塾大学准教授著『北朝鮮と観光』(2/3)の続き。

 1980年代中盤まで北朝鮮は、観光を「浪費的であり、安逸な生活を追求させる非生産的なもの」として否定的に捉えていた。また、北朝鮮社会が外国の目に触れることや、外来思潮の国内流入を懸念し、観光事業の対外開放に消極的な姿勢をとってきた。そのため、国交のない日本からは観光客の入国を認めず、訪朝は一部の友好団体や政治関係者等に限られてきた。それが1980年代後半に入り、一転して観光業を奨励しはじめる。次は、1994年に朝鮮国際旅行会社が出版した書籍からの引用である。

 朝鮮民主主義人民共和国は自主、親善、平和の理念に基づいて国際的な来往と交流、協調を発展させることを貴重に感ずる社会主義国である。共和国政府は朝鮮に来たい人であれば誰でも訪ねるのを歓迎し、いつでも門戸を開いている。政府は観光業発展を奨励している。朝鮮では認識観光、健康保護増進観光、治療及び休息観光のような文化情緒的で認識的な観光、肉体的鍛錬と健康保護を第一とした観光活動を奨励する。共和国政府は純粋な金稼ぎのために好色的な観光、賭博観光のような変態的で俗物的な観光を発展させず、排撃する。朝鮮民主主義人民共和国を訪問する人々に対してはいつでも親切に迎え入れ、厚遇することを民族的伝統と考える。

 これは北朝鮮の「観光政策」を説明したものであり、いわば「観光」の理想像である。一方、1989年11月に中央人民委員会で行ったとされる観光業活性化に関する金日成主席の演説では、「観光業」の目的を次のように明言している。

 観光業というものは、自然の景色や歴史遺跡のようなものを宣伝し、外国の人々を多く引き入れ、見物をさせながら生活上の便宜を図ってやり、食料品と日用品、記念品のようなものをたくさん売り、金を稼ぐことです。

観光業=体制宣伝と外貨獲得

 これらの表現からも、北朝鮮観光の目的が体制宣伝と外貨獲得にあることが分かる。また、1995年に公刊されたこの金日成演説は、金剛山の位置する江原道を観光地として開発すべく、食料加工工業の発展、英語習得の重要性等が説かれたが、「観光業」は「金を稼ぐ」ことだと定義している。金正日も同様の発言をしたとの見解もある。

 拉致・核・ミサイルといった、北朝鮮への強いマイナスイメージを持たない欧州各国からの旅行者に対しては、体制宣伝が功を奏しているかもしれない。しかし、日本人観光客に対してはその目的が十分に達成できたか疑問が残る部分もある。北朝鮮への渡航により好印象で帰国する旅行者が多い一方、社会主義体制の優越性、さらに言えば最高指導者の「偉大性」宣伝に違和感を持って帰国する旅行者もいるからである。

内外環境に応じて方針を変えてきた北朝鮮指導者

内外環境に応じて方針を変えてきた北朝鮮指導者

30年で観光方針も案内される観光地も大きく変化した(写真は紋繍プール)

 もう1つ目的である外貨獲得についても、訪朝者数が少ない日本人相手では一定程度の成果しか挙げられていないのではなかろうか。但し、北朝鮮側が要求する旅行費用は、旅行者の国籍によって異なり、日本人に対しては最も高額の旅行費用を請求してきた経緯があるため、判断は難しい。

 金正日国防委員長は、1998年に次のように語っている。金日成の「教示」とは異なる文脈で語られており注目される。

 観光業を行い、資源などを売ってカネを稼いでいては経済を発展させることはできません。観光業を行うと、カネを少しは稼ぐことができるでしょうが、それはわが国の現実に合致しません。外貨を導入して経済を復興させようというのも愚かな考えです。あれほど困難であった戦後復旧建設の時期も、われわれは観光業や外貨導入などという言葉を知らずに生きました。われわれは絶対に他人のことを見る必要はありません。

 北朝鮮の最高指導者は、内外環境に応じて方針を変化させてきたことが分かる。金正恩政権に対して国連安保理による経済制裁が強化される中、合法的な外貨獲得の一手段として、制裁対象に入っていない観光分野を重視することは自然の流れであったともいえる。

礒﨑 敦仁(ISOZAKI Atsuhiro)
慶應義塾大学准教授。1975年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部在学中、上海師範大学で中国語を学ぶ。慶應義塾大学大学院修士課程終了後、ソウル大学大学院博士課程留学。在中国日本国大使館専門調査委員、外務省第3国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、東京大学非常勤講師、ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロー・ウィルソンセンター客員研究員などを歴任。総合旅行業務取扱管理者。共著に『新版北朝鮮入門』(東洋経済新報社、2017年)、共編に『北朝鮮と人間の安全保障』(慶應義塾大学出版会、2009年)ほか。

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