朝鮮系ウクライナ人の戦死

朝鮮系ウクライナ人の戦死

戦死したパシャ・リーさん最後の投稿 出典 パシャ・リー公式インスタグラム

朝鮮系ウクライナ人の戦死

 ロシアがウクライナに侵攻した2月末、韓国では大統領選や新型コロナウイルスの感染拡大もあり、韓国民の関心は高いとは言えなかった。

 その後、戦線の拡大とともに大きく報道されるようになったが、その中で目を引いたのが、ウクライナに住む朝鮮系の人々のニュースだった。

 ウクライナには「高麗人」と呼ばれる朝鮮系の人々が住んでいる。

 そのうちの1人パシャ・リーさんは、ロシアの侵攻が始まると軍に志願入隊し、ロシアとの交戦中に戦死した。

 リーさんは33歳。ウクライナ出身の有名な俳優で、高麗人の父とウクライナ人の母の間に生まれた。歌手・声優としても活躍し、有名テレビショーの司会者も務めていたそうだ。

 ウクライナ南部ミコライウ州のビタリー・キム知事も高麗人だ。

 ロシアの侵攻が始まった後、SNSで毎日欠かさず動画を公開し、戦争の不安におののく州民たちを明るい声で鼓舞し続けているとして、韓国でも報道された。

 ビタリー・キム氏は、民間企業や中央省庁での勤務を経て、2019年の大統領選挙でゼレンスキー氏を支援し、2020年よりミコライウ州の知事を務めている。

  • ビタリー・キム知事 出典 Tori.chelli [Public domain], via Wikimedia Commons

旧ソ連になぜ朝鮮系の人々がいるのか?

 ウクライナ、ウズベキスタン、タジキスタンなどには、朝鮮半島にルーツを持つ高麗人が今も多く住んでいる。

 2021年現在、高麗人は旧ソ連構成国に約50万人おり、これは在米コリアン263万人、中国朝鮮族235万人、在日コリアン82万人(いずれも韓国外務省の統計)に次ぐ規模である。

 では、なぜ高麗人は旧ソ連圏に住むようになったのだろうか。その歴史をひもといてみよう。

 その起源は、19世紀にさかのぼる。

 19世紀、朝鮮半島は李氏朝鮮の統治下にあったが、国力が衰え、人々の生活も窮乏していた。

 19世紀後半になると、朝鮮半島北部の窮乏農民たちは、管理が甘くなった北の国境を越え、満州(中国東北地方)や沿海州(帝政ロシアの日本海に面した極東地方)へ渡っていった。

 一方、帝政ロシアは、人口の希薄な沿海州を入植地として開放したため、19世紀末には、朝鮮人が約2万6000人、沿海州の全人口の20%を占めるほどになった。

 1904年に日露戦争で日本が勝利し、朝鮮半島に対する日本の影響力が高まった。

 民族独立運動の活動家など日本の支配を嫌う人々が海外に亡命したが、沿海州もその受け皿になり人口はさらに増加した。

スターリンによる民族強制移住

スターリンによる民族強制移住

朝鮮系住民を強制移住させたスターリン 出典 US Army Signal Corps [Public domain], via Wikimedia Commons

スターリンによる民族強制移住

 第1次大戦後、帝政ロシアは革命で倒れ、1922年にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立。ソ連政府は、沿海州と朝鮮の国境を封鎖し、人々の行き来はできなくなった。

 彼らに悲劇が訪れるのはスターリン時代である。

 1933年の満州事変を契機に日ソ間の緊張が高まると、スターリンは、「沿海州の朝鮮系住民が日本のためにスパイ活動をしている」という疑いを抱き、1937年に朝鮮系住民約17万人を中央アジア(現在のウズベキスタン、カザフスタン)の乾燥地帯に強制移住させた。

 移住した人々のほとんどは、稲作農民や漁民であったため、農耕に不向きな中央アジアでの生活は困難を極めた。移動の過程や移住直後の飢餓のために4万人もの人が亡くなったと言われる。

 しかし、朝鮮系の移住民は、乾燥地帯に灌漑(かんがい)施設を作って農業に励み、3年後には不毛の地を一大農業地帯に変貌させた。

 その実績は、ソ連共産党の認めるところとなり「労働英雄」として表彰される者も出た。

 しかし、1945年に第2次世界大戦が終わった後も、故郷の沿海州へ帰還することは許されなかった。

韓国で今も続く「高麗人」受難の歴史 ウクライナ侵攻で憎悪の対象にへ続く。

犬鍋 浩(いぬなべ ひろし)
1961年東京生まれ。1996年~2007年、韓国ソウルに居住。帰国後も市井のコリアンウォッチャーとして自身のブログで発信を続けている。
犬鍋のヨロマル漫談

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