在日朝鮮人留学生の歴史。1910年の日韓併合後に日本へ留学する朝鮮留学生が増加

 1876年に日朝修好条規が結ばれたが、その際に「日本に使者(留学生)を派遣させる」こととなった。初めての朝鮮人留学生は、1881年には朝鮮から日本に派遣された「紳士遊覧団」である。その後、1895年福沢諭吉の提案で約200人の朝鮮人留学生が日本に派遣されることになるが、これには「朝鮮近代化の担い手を育成する」ということの他に、「支配に向けて朝鮮の情報収集をする」という目的があったと推測される。

 歴史は転換期を迎える。1897年に国号を大韓帝国に改め中国からの独立を示した後、1905年に大韓帝国は日本の保護国となり外交権を奪われ、1907年には内政権が剥奪された。その後、1910年に大韓帝国は日本に併合された。朝鮮政府の官立教育機関は、日本の文部省などの指示を受けることになった。その結果、「朝鮮には、高等学校という名前ではあるものの教育内容は中学レベルの学校しか作らない」という政策がとられた。そのためこの時期に高等教育を受けるために日本に留学する朝鮮人が増加した。

 在日朝鮮人留学生の間では愛国啓蒙運動が行われた。この運動は、「学会」という団体を組織して近代文明を積極的に朝鮮に導入、啓蒙し、朝鮮社会の国力や実力を養成した後、国権の回復を図るという救国運動である。日本で習得した文化の移植に朝鮮人留学生は大きな役割を果たした。特に留学生団体「大韓興学会」の機関誌『大韓興学報』(1909年発行)は非常に優れたできであった。

 朝鮮における愛国啓蒙期の教育は、まず体力が必要であるというものであった。体力が身につくと精神力が身につき、ひいては国力向上につながるという考えのもと体育教育に力を注いでいた。この体力を養うため、最新のスポーツを習得するという点でも朝鮮人留学生の役割は大きく、大韓興学会は1908年に「野球隊」を結成し朝鮮を訪問した。その結果、朝鮮では野球が注目され広まることとなった。

 このように朝鮮人留学生の手によって、野球や雑誌などの西洋文化が日本を経由して朝鮮に渡っており現在の韓国にもその影響は残っている。

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