日韓併合後の民族運動。独立への実力養成として出版やスポーツが盛んに

 1910年8月から朝鮮総督府による武断政治が始まり、朝鮮人の言論や出版、集会、社会活動の自由が大幅に制限された。朝鮮半島内とは異なり、日本では結社や出版が内地の法令に基づいて定められていたため、朝鮮人留学生が民族運動の主軸となった。愛国啓蒙運動は、独立できるだけの力がつくまで養成につとめる「実力養成論」に基づいて行われ愛国啓蒙運動の路線を引き継いだのは「在東京朝鮮留学生学友会」であった。

 1912年に結成した学友会は出版活動と運動に力を入れた。学友会が出していた機関誌『学乃光』(1914年創刊)は秘密裏に朝鮮に流入し、言論の自由のない朝鮮で文化啓蒙の役割を担った。学乃光を発行する上で、ハングルの活字を持つ印刷所が日本に少ないことや官憲の監視、警戒が障壁となったが、韓国併合後の朝鮮人留学生の出版物の大半を印刷していたのが「福音印刷合資会社」である。社長である村岡平吉は、敬虔なクリスチャンであり、宣教師のヘボンと交流が深かった。

 各国語版聖書の印刷を行う「福音印刷合資会社」には、ハングルの活字があった。また村岡平吉は、『赤毛のアン』で有名な村岡花子(翻訳家)の義父で、「福音印刷合資会社」はNHKドラマ「花子とアン」に「村岡印刷」として登場する。村岡平吉の5男である村岡斉は明治学院大学で小説家の李光洙と同級生であった。このようなつながりから、朝鮮人留学生は福音印刷合資会社で出版、印刷経験を蓄積し、多くのハングル雑誌を刊行して、朝鮮に送っていた。

 1909年、大韓興学会の野球隊がソウルYMCAと「YMCA野球団」という合同チームを結成した。主力選手は、邊鳳現(早稲田大学で学乃光編集長)であった。1912年、早稲田大学野球部と初の日朝戦を行った。その後、YMCA野球団は、日本の強豪チームと戦い、朝鮮総督府鉄道局のチームに勝利するなどして朝鮮のナショナリズムを高揚させた。1915年からは朝鮮人留学生チーム「PANTO」の夏休みを利用した朝鮮訪問が始まった。これは、朝鮮におけるスポーツ振興のためで、独立のための基礎体力をつけるのが目的であった。広義の独立運動であるが、日本との直接対決は避ける形で行われた。

記事に関連のあるキーワード

おすすめの記事

こんな記事も読まれています

コメント・感想

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA