1910年代の朝鮮人留学生の独立運動。第一次世界大戦で文字通り世界の歴史が連動し始めた中で

 朝鮮人留学生の独立運動は、1915年7月の秘密結社「新亜同盟党」結成に始まる。これは朝鮮人留学生と中国人留学生の同盟であった。日本にいる留学生は、情報が厳しく統制され、世界情勢の把握が困難であり、外国人との出会いも少ない朝鮮内とは状況が異なる。朝鮮人留学生は、日本にいるメリットを生かし国際交流による独立運動を展開した。

 中国人の間で「中国は第2の朝鮮になる」という植民地化への危機感が強まり、朝鮮人と中国人の利害が一致したことが新亜同盟党結成の一因となっている。中国人留学生のメンバーには、リーダーである黄介民をはじめ、辛亥革命経験者が多く在籍していた。

 新亜同盟党はメンバー集め以外の活動はできないまま1917年に自主解散したが、解散以降もメンバーは交流を続け、このときの独立運動の経験が2.8独立宣言に生かされることになる。

 1918年11月、第一次世界大戦が終結し、戦後処理(パリ講和会議)で民族自決が議題となった。アメリカで李承晩、上海で呂運亨らが講和会議参加を画策したが、李承晩は失敗し、上海から金奎植が唯一の朝鮮人としてパリ講和会議に参加することになった。

 1918年12月から1919年1月にかけ、朝鮮人留学生が大規模独立運動の話し合いを行い、「大韓青年独立団」が結成された。そして、1919年2月8日、在日朝鮮YMCAで崔八鏞が独立宣言書を朗読し、パリ講和会議で朝鮮への民族自決の適用を目指したものの実現には至らなかった。

朝鮮留学生たちによる民族運動が現代の朝鮮半島へ残したものとは?

 3.1独立運動後は、朝鮮半島内において統治政策の転換が行われ言論や集会、結社の自由が認められた。その結果、文化的活動は活性化し、留学生の民族運動の意義は相対的に薄れた。しかし1910年代の留学生はその後も活躍している。1920年4月、張徳秀らは「東亜日報」を設立し、スポーツなど各種文化事業を後援した。また1920年7月、邊鳳現らは現在の「大韓体育会(KOC)」の前身組織を設立した。

 このように、留学生の民族運動の影響は、「3.1独立運動の導火線」にとどまらないのである。

 次回以降の土曜セミナーの開催日程は以下のサイトへ掲載。
在日韓人歴史資料館

立山達也
 

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