3.1独立運動の義士・柳寛順像が完成

3.1独立運動の義士・柳寛順像が完成

天安柳寛順記念館の銅像 出典 Laurent Pawlowski [Public domain], via Wikimedia Commons

3.1独立運動の義士・柳寛順像が完成

 昨年末の12月28日、韓国ソウルの西大門独立公園(旧西大門刑務所跡地)で、柳寛順(ユ・グァンスン)の銅像の除幕式が行われた。

 銅像建立は文在寅(ムン・ジェイン)大統領による「歴史書き換え」の一環とみられる。

 柳寛順は、1919年の3.1独立運動で大韓民族独立を叫ぶデモを主導した女学生。日本の官憲によって逮捕され、西大門刑務所で獄死した。韓国では、義士または烈士と称される。

 韓国人は3.1運動と言われれば、すぐに柳寛順を思い浮かべるほど、柳寛順はよく知られている。なぜなら、韓国の初等学校(日本の小学校にあたる)の国語の教科書に柳寛順の伝記が載っており、全国民が初等学校時代にこれを読むからだ。

 韓国の国語教科書は国定で1種類しかない。

教科書に描かれた柳寛順。拷問で死亡?死体は切断?

 柳寛順は梨花学堂に在学していた15歳の時、ソウルのタプコル公園で始まった独立デモに参加。学校が閉鎖されて故郷天安に帰ったあと、そこでも独立デモを組織、手作りした太極旗を掲げてデモを先導した。

 同じデモに参加していた両親は日本の官憲によって殺され、柳寛順も逮捕される。裁判で5年の刑が下されたが、検事に椅子を投げつけたため法廷冒涜(ぼうとく)罪が加わって懲役7年の刑が宣告された。

 収監された西大門刑務所でも抗議活動を行い、看守の拷問によって17歳で獄死したとされる。遺体は四肢が切断されていたとも韓国では教えられる。

 このため、ヨーロッパの百年戦争で故国を救い、火刑に処されたフランスの少女、ジャンヌ・ダルクになぞらえて「韓国のジャンヌ・ダルク」と呼ばれることもある。

柳寛順に関する逸話は誇張だらけ

 ところが、2000年代に入り、上のような柳寛順のイメージに誇張が多いという指摘が現れた。

 天安大学柳寛順研究所の任明淳(イム・ミョンスン)客員研究員は、柳寛順に関する資料を分析し、出生年が1904年ではなく1902年であること。柳寛順の最終刑量は、懲役7年でなく3年だったこと。梨花学堂時代の級友の証言から、柳寛順の遺体の四肢は切断されてはいなかったことなどを明らかにした。

 そもそも3.1運動が起こった1919年から韓国で言う解放の1945年まで、柳寛順が人々の話題に上ることはなかった。

 柳寛順を世に知らしめたのは、朴仁徳(パク・インドク)と辛鳳祚(シン・ボンジョ)という2人の梨花学堂出身女性だった。

 辛鳳祚は解放後、梨花女子高等学校(梨花学堂の後身)の校長だったが、1946年のある日、朴仁徳に「梨花出身で国家と民族に貢献した人はいないか?」と尋ねた。朴仁徳は自分の教え子で3.1独立運動で殉国した柳寛順の名を挙げた。

 ここから柳寛順に関する資料の発掘と神格化作業が始まったのである。

柳寛順を広めたのは2人の「親日派」という説も

 2人は「柳寛順記念事業会」を立ち上げ、柳寛順の武勇伝の広報に努めるようになる。伝聞情報を基に「伝記」が書かれ、映画が製作された。その伝記は、1950年代の国民学校(現在の初等学校)の教科書に載った。

 1962年、韓国政府は柳寛順に「建国勲章独立章」(3等級)という勲章を授与した。

 ところで、辛鳳祚と朴仁徳は、日本支配時代の末期、典型的な「親日派」として行動していた。

 国民挺身総動員朝鮮連盟、朝鮮臨戦報国団の幹部として、韓国人を戦場に送るなどの“親日行為”に加担したのである。

 2人が柳寛順を発掘し、その神格化に熱心に取り組んだのは、自らの恥ずべき親日行為が追及されないようにするための予防線だったと主張する学者もいる。

相次ぐ新史実で教科書から消される事態に

 こうした中、2000年代後半以降、百科事典の柳寛順についての内容は修正され、国定国語教科書の内容も史実に合うように書き改められた。

 また、3.1運動における柳寛順の役割がそれほど大きなものではないことが明らかになったため、歴史教科書からは、相次いで柳寛順の名前が消えた。

 結果、1950年代以来、長らく柳寛順の伝記を載せていた国定国語教科書も、2010年版の4年生の教科書から伝記が削除された。

 すると今度は、別の学者から「柳寛順は親日派によってでっちあげられたわけではない」という反論が提起された。

 教科書から消えることを惜しむ国民世論もあって、翌年改訂された初等学校5年生の国語教科書に再び載せられ、今に至っている。

柳寛順への格上げ叙勲や銅像建立は文大統領の歴史書き換えの一環

柳寛順への格上げ叙勲や銅像建立は文大統領の歴史書き換えの一環

独立門(手前は中国からの使者を迎えた迎恩門柱礎) 出典 Ugha [Public domain], via Wikimedia Commons

柳寛順への格上げ叙勲や銅像建立は文大統領の歴史書き換えの一環

 このように柳寛順を巡る評価は二転三転しているのだが、文在寅政権下において、柳寛順が再評価される兆しが見られる。

 2019年、韓国政府は柳寛順の叙勲等級をそれまでの3等級から最も高い1等級「建国勲章大韓民国章」に格上げすることを発表した。

 新事実が発見されたわけではないのに勲章等級が格上げされるのは異例である。

 実は、文大統領は、この前年の2018年、三一節(3.1独立運動を記念した韓国の祝日)に西大門独立公園で記念式典を行い、日本批判の演説を行った後、出席者らとともに近くの独立門へと行進。独立門の前で出席者とともに万歳三唱をした。

 だが、この独立門は、日本からの独立とは関係なく、実は、朝鮮時代に中国の属国であった朝鮮が、日清戦争での日本の勝利によって、中国からの独立を勝ち取ったことを記念して建てられたものである。

 文政権下では、日本の植民地時代や解放後の軍事政権時代に関する歴史の書き換えが進行中である。

 昨年末に西大門独立公園に設置された柳寛順の銅像は、独立門を含む独立公園を「日本からの独立の聖地」として確固たるものにするための「反日モニュメント」と見ることもできる。

犬鍋 浩(いぬなべ ひろし)
1961年東京生まれ。1996年~2007年、韓国ソウルに居住。帰国後も市井のコリアンウォッチャーとして自身のブログで発信を続けている。
犬鍋のヨロマル漫談

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