ただの流言がなぜ異例である行政戒厳を招いたのか

ただの流言がなぜ異例である行政戒厳を招いたのか

出典 Robert L. Capp [Public domain], via Wikimedia Commons

ただの流言がなぜ異例である行政戒厳を招いたのか

 前回、「関東大震災の朝鮮人虐殺事件 小池都知事の追悼文不送付など問題となっている背景へ迫る」で、関東大震災時(1923年9月1日)の虐殺事件の概要について説明した。

 今回は、当時の日本人にとって在日朝鮮人がどのような存在であり、なぜ彼らがターゲットになったのかについて焦点を当てたい。

 この事件は、震災直後に「地震後の混乱に乗じて朝鮮人が暴動を起こす」などの流言が東京府(東京都の前身)や横浜市を中心に急速に広がったことが発端となった。政府や軍、警察関係者はこの流言を事実と判断し、緊急勅令に基づいていわゆる行政戒厳を宣告したのである。

 他に行政戒厳が宣告されたのが日比谷焼打事件(1905年)と二・二六事件(1936年)があると考えると、政府が流言だけでどれほど緊迫した事態と受け取っていたかがよく分かる。

 その後、まもなくして、政府も警視庁も流言が事実無根のものであると気がつき、政府は流言が虚偽だと否定したものの(9月5日内閣告諭など)、すぐに事態を収束させることはできなかった。

当時の朝鮮人観を金哲秀朝鮮大学校朝鮮問題研究センター副センター長が解説

 流言を信じ切った一般人は依然として朝鮮人に怯え、自警団による暴行も続いた。その結果、多くの朝鮮人、また、朝鮮人と間違えられた日本人、中国人が殺傷された。

 ではなぜここまで流言が一般人に浸透するにいたったのか。これは当時、日本人が朝鮮人に対して特別な意識を持っていたからではないだろうか。

 そこで、朝鮮人虐殺事件の真相解明と責任追及に関わっている金哲秀氏(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター副センター長)に話を聞いた。

戦前の日本人はどのように在日朝鮮人を見ていたのか

Q 当時、行政戒厳が出された背景には、日本の指導層にはどのような朝鮮人観があったと考えられますか。

 大きく分けて2つの朝鮮人観があったと考えられる。

 1つ目は、朝鮮人に対する優越感からくる差別意識。1870年代に「征韓論」(※武力をもって朝鮮を開国しようとする主張)が唱えられて以降、日本人の中で朝鮮に対する優越意識、差別意識が培われていった。
 
 2つ目は、朝鮮人に対する恐怖感である。震災の4年前の1919年、植民地支配を受けていた朝鮮で大規模な独立運動、「3.1運動」が起こった。日本の指導者はこの200万人が参加した独立運動を目の当たりにし、朝鮮人の抵抗が自分たちの想定を越えるレベルであったことから、「暴動が日本にも広がるのではないか」という危機意識を持った。
 
 実際、震災の発生直後、戒厳令を出す前にも軍を出動させているが、軍は朝鮮人の動向を注視していたと言われている。つまり、日本の指導層には「震災を機に朝鮮人が何かをしでかすのではないか?」という意識が元々あったのだ。

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