1952年サンフランシスコ平和条約で外国人となった旧植民地出身者

 さて、外国人とみなされた旧植民地出身者にとって新たな局面となったのは、1952年4月28日に発効した「サンフランシスコ平和条約」である。

 これにより日本は主権を回復し、正式に朝鮮の独立承認などが行われたが、条約の影響は在日旧植民地出身者にもおよぶこととなった。

 日本政府は条約発効を機に、「法務府民事局長通達」(1952年)を出し、「条約発効にともない朝鮮人および台湾人は、内地に在住している者を含めてすべて日本の国籍を喪失する」とする見解を示したのだ。つまり、旧植民地出身者は突如として日本国籍を喪失することとなったのである。

 このときの国籍喪失者を一般に「平和条約国籍離脱者」と呼ぶ。

 一方的に国籍を剥奪したことへの非難は強いが、最高裁では「国際的承認を得たサンフランシスコ平和条約にともなうものである」として正当性があると解釈されている。

 だが、条約そのものは国籍喪失について直接規定しているわけではないし、ドイツでは当時、オーストリアの分離にともなって国籍を選択させるという措置がとられたように、「国籍を選択可能にすべきであった」といった反論が寄せられる。

平和条約国籍離脱者=特別永住者

 当時は、「日本国籍の喪失=日本の植民地支配からの解放」と捉えられていた面もあった。その一方で、外国人として国外追放や様々な制度上での排除が国籍を理由に可能となったわけで、旧植民地出身者がより不安定な立場に置かれることとなったのも事実だ。

 とにかく、これ以降「元日本人」である平和条約国籍離脱者が日本国籍を再び希望する場合には、他の一般外国人と同様に「帰化申請」によって日本政府の可否判断を受けることが必要となったのである。

 ちなみに、『日本統計年鑑』(総務省)などによると、1952年のサンフランシスコ平和条約の発効当時は朝鮮籍者および韓国籍者が約56万人、台湾籍者約2万人が日本にいたと記録されている。冒頭で「特別永住者の99パーセントは朝鮮籍および韓国籍で、その次に台湾籍が続く」と紹介したが、当時の平和条約国籍離脱者の国籍割合がそのまま影響していると言える。

平和条約国籍離脱者のために用意された「法126」

 さて、日本政府はサンフランシスコ平和条約発効により旧植民地出身者(平和条約国籍離脱者)を強制的に「外国人」にしたわけだが、従前からある在留資格のいずれかにその全員を即時に振り分けることは当然不可能であった。

 だが、このままでは平和条約国籍離脱者の日本在留の法的根拠がなくなってしまうし、だからと言ってさすがに「不法滞在」扱いで国外追放するわけにもいかない。

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