忘れられた三党共同宣言から30周年

忘れられた三党共同宣言から30周年

金丸訪朝団の三党共同宣言から2020年で30年を迎える

忘れられた三党共同宣言から30周年

 日朝関係における重要な合意として、日朝平壌宣言(2002年)やストックホルム合意(2014年)が挙げられることが多いが、今からちょうど30年前に重要な合意があったのはご存知だろうか。1990年9月28日の「三党共同宣言」である。

 これは、訪朝していた金丸信(自由民主党代表団長)と田辺誠(日本社会党代表団長)が、金容淳(朝鮮労働党中央委員会書記)と交わした合意である。

 三党共同宣言はいわば日朝交渉の始点の1つとも言うべき重要な合意であるが、今日ではその重要性が顧みられる機会が少なくなっている。

 日朝交渉が停滞している今、改めて三党共同宣言の意義を再確認するため、朝鮮近現代史を研究している康成銀氏(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター研究顧問)に解説してもらった。

三党共同宣言にいたるまでの背景を康成銀氏が解説

Q 1990年に日本から自由民主党、日本社会党代表団が訪朝しましたが、それまでは日朝関係はどのような状況にあったのでしょうか。

 朝鮮民主主義人民共和国の対日国交正常化のアプローチはすでに1950年代から始まっていた。

 1955年2月25日、南日外相の声明で日本との関係正常化の意志を公式に表明した。当時の鳩山一郎内閣は日本の戦後処理の一環として対ソ国交をはじめ社会主義諸国との関係改善を希望していたため、南日外相の声明は時宜にかなうものであった。

 同年10月20日、朝鮮を訪問した古屋貞雄を団長とした日本国会議員団、また、10月29日、帆足計を団長とした国会議員団との間で、国交正常化、貿易代表部設置、文化交流拡大、自由往来、両国漁民の漁労保障実現、在日朝鮮人の民族教育権保障などの「日朝国交正常化に関する両国議員団共同声明」(第1次および第2次声明)が採択された。

 しかし、日本外務省は朝鮮政府の提案を「共産陣営の平和攻勢の一環」であるとの見解を発表してこれを無視した。日韓交渉の妥結を優先し、それに支障をきたす朝鮮との関係改善はしないとの姿勢のあらわれであった。

 朝鮮政府の対日関係改善の基本姿勢は「韓日条約」締結以後も変わりがなかった。1972年9月7日、朴成哲副首相は南北赤十字会談の取材のため訪問した日本人記者団に対して、「日本と南朝鮮との外交関係をそのままにしておいても朝日国交を樹立することができ、それは朝鮮の統一の障害にならない」という見解を述べている。

 その後、日本政府の対朝鮮政策が変わってきたのは、1989年3月30日の竹下登首相の国会発言からであった。竹下首相は過去の関係についての深い反省と遺憾の意を表し、前提条件なしに政府間の対話を求めた。

 その背景には、1988年12月から始まった朝米間の接触、盧泰愚大統領の「北方外交」と南北間の対話の進展があり、先を越された中米関係(1972年米中共同声明)の轍を踏まないようにしようとする日本外交の意図があった。それに加え、7年間拘留中の「第十八富士山丸」船員たちの釈放という目的もあった。

 一方、朝鮮政府の立場から見ると、冷戦の終結、韓ソの接近と、それにともなう朝ソ関係の冷え込みという危機状況からの打開策を、改めて日本との「国交正常化」に求めた。
 

金日成主席との会談で発表された三党共同宣言

Q 日朝双方がこの頃国交正常化交渉に前向きな姿勢になっていたのですね。

 こうして1990年9月24日から28日まで、当時の海部俊樹首相の親書を携えて、自民党代表団(金丸信団長)、社会党代表団(田辺誠団長)の歴史的な朝鮮訪問が実現した。政治家、外務省官僚、企業人、マスメディアなど、総勢89人であった。

 26日夜、金日成主席は金丸信団長との単独会談の場で「朝日国交正常化交渉を始めよう」と、突然持ち掛けてきた。金丸団長はこの提案に驚いたものの、これを承諾した。

 そして28日に「朝日関係に関する三党(朝鮮労働党・自由民主党・日本社会党)共同宣言」が発表されることになった。

 その骨子は次の通りである。
・過去の36年間と戦後45年間に朝鮮人民が受けた損失に対して、公式的に謝罪し、償う。
・在日朝鮮人の法的地位を保証する。
・地球上のすべての地域から「核の脅威」をなくす。
・国交樹立のための政府間交渉を11月中に始める。

 三党共同宣言でもっとも大事な内容は、「36年間の植民地支配と戦後45年間の国交断絶の関係についての謝罪と償いを行う」ことを発表したことである。

 実務協議では白熱した議論が交わされたが、最後は金丸団長の鶴の一声で「償い」の文言を入れることが決まった。計5時間におよぶ単独会談において虚心坦懐に議論を尽くすなかで、金主席と金丸団長との信頼関係が培われたのであろう。

三党共同宣言と離れて進められていく日朝交渉

 その後、同年11月からの予備会談を経て、1991年1月から第1回本会談が始まった。

 会談では日本政府は「三党共同宣言には拘束されない」と繰り返し述べたが、これは日本政府の自己矛盾をさらすものではなかろうか。政権党である自民党を代表して金丸信が署名している。しかも日朝関係正常化については竹下首相の要請で政府、自民党、社会党の三者で実務協議が行われ、訪朝団は海部首相の親書まで持参しており、外務省から補佐官などアジア局審議官以下5人が参加していたのを見ても、自民党が日本政府とまったく関係ないと見ることはできないだろう。

 また、竹下首相は国会での発言で「日朝間の諸懸案のすべての側面について、前提条件なく話をしたい」との希望を表明したが、実際の会談では「北朝鮮における核施設の国際査察受け入れ」、「李恩恵問題」などを前提条件として持ち出している。1965年の「韓日条約」方式に固執し、それを朝鮮にも押しつけようとした。

 これらのことは三党共同宣言に対する背信行為であると言えよう。
 

2002年に日朝平壌宣言を発表

2002年に日朝平壌宣言を発表

2002年第1回日朝首脳会談(出典 外務省)

2002年に日朝平壌宣言を発表

 このような日本政府の態度のため、会談は1992年11月の第8回会談以降は7年半ほど中断するが、2000年4月に再開され(第9回会談)、第10回、11回会談へと続いた。2001年以降は水面下で非公式交渉が行われ、翌年8月まで30数回にわたって交渉が行われた。

 こうして過去の清算問題を中心とする問題と朝日間の懸案問題(日本人行方不明者など)を包括的に解決する方式が決められる。2002年9月17日にピョンヤンで朝日首脳会談が開かれ、両首脳(金正日総書記、小泉純一郎首相)が署名した朝日ピョンヤン宣言が発表された。

 宣言はその基本精神と原則(前文)、正常化交渉の再開(一項)、過去の問題(二項)、懸案問題(三項)、北東アジアの平和と安定(四項)を内容としている。

 このうち第二項の過去の問題では、日本側は植民地支配に対する反省とお詫びを表明して経済協力を実施すること、両国およびその国民のすべての財産および請求権を相互に放棄すること、そして、在日朝鮮人の地位に関する問題および文化財問題について協議することとされた。

日朝平壌宣言の解釈における問題点

 このピョンヤン宣言と三党共同声明との関係をどのように考えればよいのか。

 ピョンヤン宣言に1965年の韓日条約になかった「謝罪(お詫び)」の言葉が入ったことは、三党共同宣言がピョンヤン宣言の下敷きであると言えよう。また、「お詫び」の言葉は1995年村山首相の戦後五十年談話や1998年「韓日共同宣言」にも入っている。

 しかし、ピョンヤン宣言にある「経済協力」は、当の日本政府の説明によると「補償」の意味を含まないものとされる。日本政府の立場は、お詫びをすることはやぶさかではないが(道義的責任)、法的責任はないとする「不当・合法論」である。

 また、ピョンヤン宣言では、国家と国民の財産および請求権を放棄するとしたが、現在の国際人権法では国家が個人の補償請求権を勝手に放棄することはできないとされている。
そのためピョンヤン宣言の意義を認めつつも、当時から過去清算問題について憂える人々が多かった。

 1年後の2003年9月16日、朝鮮外務省スポークスマン談話で、「被害者の個人補償は残っている」と発表し、その受け皿になる朝鮮人強制連行被害者・遺家族協会が結成されている。

 現在の朝鮮政府においてピョンヤン宣言のこの部分の見解は修正されていると見ることができよう。
 

真の改善を目指すなら三党共同宣言の理念を再認識するべき

Q 今年で三党共同宣言から30年経ちますが、日朝交渉は膠着状態にあります。三党共同宣言はどのような形で生かされているのでしょうか。

 朝日首脳会談における日本人拉致問題の公表を機に日本では反朝鮮キャンペーンが大々的に繰り広げられ、朝日間の国交正常化交渉は膠着状態に陥ってしまった。また、核実験、ミサイル発射を理由とした国連の制裁、米国や日本の単独経済制裁のため、現在、朝日関係は最悪の状態にある。その中で、在日朝鮮人に対する教育差別、ヘイトスピーチなど人権侵害が深刻な状況にある。

 このような中で三党共同宣言は、ほぼ忘れ去られているように思う。

 朝鮮政府や過去清算問題に携わっている市民運動側もピョンヤン宣言については強調するが、三党共同宣言についての言及は少ない。

 しかし、朝日関係の真の改善を目指そうとするならば、その理念は三党共同宣言に示されていることを再確認すべきだと思う。

2018年韓国大法院も三党共同宣言を間接的に継承か?日朝交渉再開に向けて

Q 三党共同宣言はどのように受け継がれていくのでしょうか。

 2018年、韓国大法院は「不法な植民地支配および侵略行為の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為」に対する強制労働被害者の損害賠償請求権を認め、賠償を命ずる判決を下した。

 この判決が出てくるまでになった背景は、1.韓国で民主化が進み、「過去の清算」事業が進んだこと、2.過去清算に関連する国際的な諸運動の影響、3.研究上における「不法な植民地支配」論の深化がある。

 同時に、この大法院判決は、「日本の植民地支配に対して公式的に謝罪し十分に償う」とした三党共同宣言の内容にそうものである。植民地支配責任問題は朝鮮半島の南側、北側と分けることができないことから、三党共同宣言を間接的に継承していると考えることができるのではないか。

 三党共同宣言発表30周年にあたる今年の初めに、三浦洋子著『金丸信のめざした日朝国交正常化―金丸家所蔵文書より』(山梨ふるさと文庫)が出版された。金丸信氏の御子息である信吾氏へのヒヤリング、金丸信と金容淳往復書簡などの金丸家所蔵文書に基づいて書かれているため、これまで知ることができなかった新しい知見が多い。

 この先、近い将来、朝日国交正常化交渉が再開されるに違いない。そのために、改めて三党共同宣言を想起し、この30年間の様々な経緯をたどりながら、真の朝日関係改善を実現することを願ってやまない。
 
 
康成銀朝鮮大学校朝鮮問題研究センター研究顧問
1950年大阪生まれ。1973年朝鮮大学校歴史地理学部卒業。朝鮮大学校で歴史地理学部長、図書館長、副学長、朝鮮問題研究センターのセンター長を歴任。現在は同センターで研究顧問を務めている。
 

八島 有佑

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