また、竹下首相は国会での発言で「日朝間の諸懸案のすべての側面について、前提条件なく話をしたい」との希望を表明したが、実際の会談では「北朝鮮における核施設の国際査察受け入れ」、「李恩恵問題」などを前提条件として持ち出している。1965年の「韓日条約」方式に固執し、それを朝鮮にも押しつけようとした。

 これらのことは三党共同宣言に対する背信行為であると言えよう。
 

2002年に日朝平壌宣言を発表

2002年に日朝平壌宣言を発表

2002年第1回日朝首脳会談(出典 外務省)

2002年に日朝平壌宣言を発表

 このような日本政府の態度のため、会談は1992年11月の第8回会談以降は7年半ほど中断するが、2000年4月に再開され(第9回会談)、第10回、11回会談へと続いた。2001年以降は水面下で非公式交渉が行われ、翌年8月まで30数回にわたって交渉が行われた。

 こうして過去の清算問題を中心とする問題と朝日間の懸案問題(日本人行方不明者など)を包括的に解決する方式が決められる。2002年9月17日にピョンヤンで朝日首脳会談が開かれ、両首脳(金正日総書記、小泉純一郎首相)が署名した朝日ピョンヤン宣言が発表された。

 宣言はその基本精神と原則(前文)、正常化交渉の再開(一項)、過去の問題(二項)、懸案問題(三項)、北東アジアの平和と安定(四項)を内容としている。

 このうち第二項の過去の問題では、日本側は植民地支配に対する反省とお詫びを表明して経済協力を実施すること、両国およびその国民のすべての財産および請求権を相互に放棄すること、そして、在日朝鮮人の地位に関する問題および文化財問題について協議することとされた。

日朝平壌宣言の解釈における問題点

 このピョンヤン宣言と三党共同声明との関係をどのように考えればよいのか。

 ピョンヤン宣言に1965年の韓日条約になかった「謝罪(お詫び)」の言葉が入ったことは、三党共同宣言がピョンヤン宣言の下敷きであると言えよう。また、「お詫び」の言葉は1995年村山首相の戦後五十年談話や1998年「韓日共同宣言」にも入っている。

 しかし、ピョンヤン宣言にある「経済協力」は、当の日本政府の説明によると「補償」の意味を含まないものとされる。日本政府の立場は、お詫びをすることはやぶさかではないが(道義的責任)、法的責任はないとする「不当・合法論」である。

 また、ピョンヤン宣言では、国家と国民の財産および請求権を放棄するとしたが、現在の国際人権法では国家が個人の補償請求権を勝手に放棄することはできないとされている。
そのためピョンヤン宣言の意義を認めつつも、当時から過去清算問題について憂える人々が多かった。

記事に関連のあるキーワード

こんな記事も読まれています

コメント・感想

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA