奉天や旧満州は豊かだった

奉天や旧満州は豊かだった

人口800万人を超える瀋陽 出典 ecabal [Public domain], via Wikimedia Commons

奉天や旧満州は豊かだった

 中国の少数民族朝鮮族は国家や戦争に運命を左右されてきた。遼寧省瀋陽の沈さん一族もそんな左右された一族だ。1930年代、沈さんの祖父らが朝鮮族1世として一族で現在の北朝鮮東北部から満州国時代の奉天(現在の瀋陽)へ開拓農民として移住していた。

 日韓併合時代の当時、沈さんは日本人として奉天に移住していた。1945年(昭和20)に終戦を迎えて朝鮮半島は独立し、沈さんら朝鮮半島出身者は、日本国籍から離脱した。満州国が消滅し、奉天は瀋陽へと都市名が変わったが、沈さんら一族は、そのまま開拓してきた土地へ残り農作業を続けて生産量を増やしていた。
 
 というのは当時の旧満州国は非常に豊かで、日本の外地だった大連も含めて現在の東北3省だけで、中国全土のGDPの4分の1以上を占める先進地域だったからだ。祖国が開放されても朝鮮半島よりも瀋陽のほうが豊かだったこともすぐに帰国しなかった要因ではないかと沈さんは想像する。

生活を保障するから全財産を持って北朝鮮へ帰還するように呼びかける

 豊かだった旧満州地域は、地理的にソ連に近いこともあり、ソ連に支援された中国共産党勢力が支配を強めつつあった。

 沈さんの祖父は、いつか朝鮮半島へ帰ると家族へ語っていたようだが、思わぬ形で帰還が呼びかけられる。

 1948年9月9日、朝鮮半島北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国、その1か月ほど前には、アメリカ軍政が中心となり、朝鮮半島南部に大韓民国が建国されていた。

 朝鮮半島を二分し、戦争の機運が高まるにつれて、瀋陽の朝鮮人(当時は朝鮮族とは呼ばれておらず朝鮮人)に対して北朝鮮は、北朝鮮へ帰還すれば、住宅や仕事も提供するので全財産を持って帰還して祖国建設へ貢献するようにと呼びかけられたという。祖国へ戻り、さらに生活も保障されていると聞き、多くの朝鮮人が帰還した。沈さんの祖父の弟一家も帰還した。

米の収穫を終えてから一家で帰還することを決める

 「当時、子どもだった私の親父の記憶では、自分たちも朝鮮(北朝鮮)へ帰還しようという意見が家族内から出ていたそうで、祖父は、1950年の米の収穫が終わったら帰還することを決めていたそうです。中国は内戦状態だし、日本国籍もなくなって、不安定になっていましたから、朝鮮は国がすべてを提供して不自由ない生活ができると聞かされていたことが非常に魅力的だったそうです」(沈さん)

 瀋陽は冬が長く厳しいので、稲作の収穫は9月ごろとなる。1950年6月に勃発した朝鮮戦争が激しくなったときだったが、当時なので戦況など情報が入ってきておらず、稲刈りが終わったら沈さん一家は北朝鮮へ帰還する予定だった。

(続く)

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