南北合意を守らない韓国への不信感

南北合意を守らない韓国への不信感

第7期第14回政治局拡大会議に出席した金正恩委員長(提供「コリアメディア」)

 5月末に韓国の脱北者団体がビラ散布したことを発端にし、6月に北朝鮮は南北共同連絡事務所を爆破した。韓国政府の対応措置もあって北朝鮮は対韓非難を緩めているが、現在も朝鮮半島情勢は緊張状態にある。

 南北対話や米朝交渉の現状と展望について、朝鮮近現代史を研究している康成銀氏(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター研究顧問)に見解を伺った(※7月6日に取材)。

Q 北朝鮮側が連絡事務所を爆破するほどまでに不満を持った背景には何があるのでしょうか。

 金正恩委員長は2019年4月12日、最高人民会議での施政演説で、「(韓国は)『仲介者』、『促進者』のようにふるまうのではなく、民族の一員として自分の信念を持ち、堂々と自分の意見を述べて民族の利益を擁護する当事者になるべき」と述べていた。その後、「板門店対面」(2018年4月南北会談)と「9月平壌対面」(同年9月南北会談)のときの初心に立ち返るよう求めた。

 だが、文在寅政権はその後も、南北両首脳が合意した開城工業団地の再開や、金剛山観光事業の推進、北南鉄道、道路連結について、米国のトランプ政権の顔色を窺って約束を履行してこなかった。

 文政権はこれら不履行について言い訳がましい言説に終始し、米国に断固と物申すことができずにいたことが、金正恩委員長に不信感を与え、朝鮮の怒りを昂じさせたのである。

 加えて、今年5月31日に脱北者が反朝鮮ビラを飛ばし、文政権が「敵対行為禁止」の合意(板門店宣言第2条1項)すら守れなかったことで、ついに朝鮮は「堪忍袋の緒を切る」こととなったのである。

 朝鮮にとって最高権威(金正恩委員長)への中傷は絶対に許せるものではない。

金与正談話から南北共同連絡事務所爆破までの経緯

Q 金与正党第1副部長などによる韓国への非難談話について、特に注目すべきポイントについて教えてください。

 6月4日の金与正党第1副部長による談話では、脱北者が反朝鮮のビラを飛ばしたことは、「軍事境界線一帯でビラ散布などすべての敵対行為を禁止することにした板門店宣言と軍事合意書の条項」に対する明白な違反であることを指摘した。韓国がビラ散布に対して相応の措置をとらない場合には、「十分に覚悟しておくべきであろう」として、金剛山観光廃止や開城工業地区完全撤去、北南共同連絡事務所閉鎖、北南軍事合意破棄などを列挙して警告している。

 これに関連し、6月5日に、党中央委統一戦線部スポークスマンが談話を発表し、「やることもなく開城工業地区に居座っている北南共同連絡事務所から撤廃し、引き続きすでに示唆した色々な措置をともなわせるつもりである」と言明した。

 6月12日には、党中央委統一戦線部のチャン・グムチョル部長が談話を発表。「北南関係が悪化することを心から懸念したなら、板門店宣言採択以後、今まで2年になる長い時間が流れる時間に、(ビラ散布を禁止する)そのような法などは十回でも、二十回でも制定することができたであろう」と指摘している。

 続いて6月13日に、金与正党第1副部長が再び談話を発表(2回目)。「2年間しなかったことを直ちにやり遂げる能力と度胸がある連中なら、北南関係がいまだにこの状態であろうか」と述べ、文政権が「働いた罪の代価をすっかり受け取るべきという判断とそれにともなって立てた報復計画」は、「国論として定まった」とした。その上で、「私は、委員長同志と党と国家から付与された私の権限を行使して対敵事業関連部署に次の段階の行動を決行することを指示した」と言及している。

 これら朝鮮側の非難を受けた文在寅大統領であるが、6月15日に開催された「6.15南北共同宣言20周年記念式」に映像メッセージを送っている。だが、その内容は、「私と金正恩委員長が8000万民族の前でした韓半島平和の約束を後回しにすることはできない」、「朝鮮半島はまだ南北の意志だけで突っ走れる状況ではない」などと弁解に終始。具体策はなく、緊張関係を打開する内容ではなかった。

 このような状況で、ついに朝鮮側は6月16日に連絡事務所を破壊するにいたった。

 破壊後の翌17日には、朝鮮人民軍総参謀部報道官が、(1)金剛山・開城工業地区への連隊級部隊の展開、(2)非武装地帯への民警警戒所(GP)への進出、(3)境界地域の軍事演習、(4)対南ビラ散布という「4つの軍事行動」をさらに予告した。

 また、同日、金与正党第1副部長が談話を発表した(3回目)。内容は、文在寅大統領の上記映像メッセージを「嫌悪感を禁じえない」と酷評するものであった。

 談話では、「北南合意より『(韓米)同盟』が優先で、同盟の力が平和をもたらすという盲信が南朝鮮を持続的な屈従と破廉恥な背信の道へと導いた」、「遅ればせながら『身動きの幅を広める』と鼻を高くするときにさえ『制裁の枠内で』という前提条件を絶対的に付け加えてきた」と指摘。さらに、「北南関係が米国の翻弄物に転落したのは、南朝鮮当局の執拗で根深い親米事大と屈従主義が生んだ悲劇である」と非難している。

 このように朝鮮側はこれまでの韓国の対応を強く非難してきたが、内容は筋が通っている。

 今回のような事態を招いた責任は、文政権にあると言うほかない。

韓国政府の対応に一定の評価を与えた北朝鮮

Q その後、北朝鮮は韓国への批判を弱めていますが、連絡事務所爆破以降の韓国政府の対応をどのように評価しているのでしょうか。

 6月23日の中央軍事委第7期第5回予備会議で、金正恩党中央軍事委員長兼国務委員長は「党中央軍事委は最近の情勢を評価し、人民軍参謀部が党中央軍事委第7期第5回会議に提起した対南軍事行動計画を保留した」と発表した。

 では党中央軍事委が評価した「最近の情勢」とは何かを考えたとき、韓国側の対応として次の3点が特に評価されたものとみることができる。

 1点目は、6月17日に金錬鉄統一部長官が「南北関係悪化の責任」を取って辞任を表明し、「(関係悪化を)ここで止めなければならない」と訴えたことである。

 2点目は、政府与党や京畿道がビラ散布について「禁止と処罰」に乗り出したこと。

 3点目は、大統領官邸は歴代統一相や対北特使ら11人を招いて昼食会を開き、今後の北南対話の方向性について意見を聴取した。この場で、「外交安保ラインの刷新」が提起され、また「(2018年11月にスタートした)韓米作業部会が南北事業の妨げになっている」との指摘が相次ぐなど、様々な議論が交わされたことも大きい。

 これらの対応を朝鮮側は評価したのではないか。

 韓国はその後の7月3日、実際に安保外交ラインの交代人事を発表している。大統領安保特別補佐官に鄭義溶(前国家安保室長)、大統領府国家安保室長に徐薫(前国家情報院長)、国家情報院長に朴智元(元民生党議員)、統一部長官に李仁栄(民主党前院内代表)を起用。朝鮮通を登用し、北南対話の復元を狙ったものとみられる。北南関係修復のためにかつて自身と対立したこともある朴智元を起用するなど、文在寅大統領の意気込みが伝わってくる。

 その一方で、「6.25戦争第70周年記念式」での文在寅大統領によるスピーチはよくなかった。「北朝鮮との体制競争で勝利した」かのような内容は、それを聞いて朝鮮側がどう思うかという配慮に欠けている。

 ただ、現時点までに朝鮮側はこのスピーチに対して反応していない。

北朝鮮は米国との対話を拒否しないが、譲歩もしない

Q 南北対話と米朝対話はやはり切っても切れない関係にありますが、今後の米朝関係はどうなるでしょうか。

 7月7日にビーガン国務省副長官兼対朝鮮政策特別代表が訪韓予定であるが、これに先立って、7月4日に崔善姫第1外務次官が談話を発表した。

 談話では、「朝米対話を自分らの政治的危機を処理するための道具としかみなさない米国とは、対座する必要がない」とけん制し、「すでに米国の長期的な脅威を管理するためのより具体的な戦略的計画表を練っている」と述べている。

 ただし、これは対話の拒否ではなく、米国側の「実質的な行動」を求めるものである。朝米対話の突破口を開くほどの前向きなメッセージを持ってくるかどうかに注目していると言える。

 朝鮮が求めるのは2018年6月の朝米シンガポール共同声明に基づいた段階的解決案である。

 シンガポール共同声明では、トランプ大統領は朝鮮民主主義人民共和国に安全の保証を与えると約束し、金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化に向けた断固とした揺るぎない決意を確認した。

 朝鮮側はこの共同声明に基づいて、同時行動的な対応措置を米国に求めてきた。

 だが、2019年2月のハノイ会談において、朝鮮側が経済制裁の一部解除を求め、その対応措置として「寧辺核施設の廃棄」を行うことを提案したが、米国側は「核施設や、化学・生物兵器プログラムとこれに関連する軍民両用施設、弾道ミサイル、ミサイル発射装置及び関連施設の完全な廃棄」と過大な要求を求めた。

 それ以降、朝米関係はこう着状態にある。

 米国が態度を変化させ、具体的な計画を用意しなければ朝鮮側は何ら譲歩しないし、ただ首脳や実務者同士が対面するだけの会談には応じないだろう。

Q 北朝鮮側としては米国との長期戦も覚悟しているとのことですが。

 2019年末に開かれた党中央委員会第7期第5回総会での報告で「正面突破戦」を掲げ、すでに米国との長期的対立を予告していた。

 ここでは「新しい戦略兵器」を示唆しながらも、米国との対話を困難化させるのを避けて「核」という言葉を使用しなかったし、そのほか今後の対米交渉の可能性に含みを持たせる発言を行っている。

 たとえば、「米国の対朝鮮敵視が撤回され、朝鮮半島に恒久的で強固な平和体制が構築されるときまでは、戦略兵器の開発を引き続き行っていく」とする部分である。この発言の含意は、「米国が朝鮮敵視政策を撤回し、朝鮮半島の平和構築プロセスが進行する状況になれば、朝鮮としては戦略兵器開発を再考する用意がある」ということである。

 このように朝鮮側は米国との対話を完全に閉ざしているわけではなく、あくまで「米国の行動次第」であることを示している。

 今年11月に米大統領選が控えているが、朝鮮からすれば、民主党候補が大統領になることよりもトランプ大統領が再選されることの方が「より悪くはない」ことは間違いない。

 そのため、朝鮮が進んでトランプ大統領の国内的立場を不利にし、朝米交渉の今後の可能性を閉じてしまう行動をとる可能性は低いと考えられる。

南北関係は韓国側の行動にかかっている。ビーガン訪韓に注目

Q その上で、南北対話の進展には何が必要となるでしょうか。

 6月24日に金英哲副委員長が談話を発表し、「北南関係の展望は南朝鮮当局の態度と行動にかかっている」と述べるなど、朝鮮側は北南関係がどうなるかは文在寅大統領や韓国政府の行動いかんにかかっていると捉えている。

 朝鮮側が具体的に求めているのは、民族共助や、韓米実務協議会(ワーキンググループ)の解体、そして、板門店共同宣言や平壌宣言、南北軍事合意書に基づく実践的な行動である。

 特に、朝米実務協議会がどうなるかが試金石となると言える。

 ビーガン国務省副長官が7月7日に訪韓した際、韓国政府がこれらについてどれだけ米国に強く打って出ることができるかどうかで南北関係は決まってくる。

 以上を踏まえると、今回のビーガン訪韓に関連した韓米両政府の発言や行動には注目である。
 
 
康成銀朝鮮大学校朝鮮問題研究センター研究顧問
1950年大阪生まれ。1973年朝鮮大学校歴史地理学部卒業。朝鮮大学校で歴史地理学部長、図書館長、副学長、朝鮮問題研究センター・センター長を歴任。現在は同センターで研究顧問を務めている。
 

八島 有佑

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