5万人が来場した節目の100周年イベント

5万人が来場した節目の100周年イベント

淘宝網(タオバオ)で購入できるリンゴ梨

5万人が来場した節目の100周年イベント

 中国吉林省延辺朝鮮族自治州・龍井では、春の恒例イベント「リンゴ梨花祝祭」が5月15日、16日に開催された。2021年は、リンゴ梨が接ぎ木されてから100周年として2日間にわたり梨花民俗文化広場をメイン会場に盛大に行われた。

 2007年から行われているリンゴ梨花祝祭は、花開いたリンゴ梨の花の香りが漂い出す5月中旬に毎年開催されている。龍井市文化・放送・観光局は、今年のリンゴ梨花祝祭にはのべ5万人が訪れイベントを楽しんだと発表している。

リンゴ梨とは?

 リンゴ梨とは聞き慣れない名前だと思うが、今から100年前の1921年に現在の北朝鮮から持ってきた梨の木を龍井で栽培されていた梨へ接ぎ木して誕生したものとされる。赤みがある見た目からリンゴの名前がつくが、品種は梨である。現在、延辺のリンゴ梨は、アジア最大の栽培量を誇ると中国メディアは紹介する。

 父親がリンゴ農家でかつてリンゴ梨を栽培していた龍井出身の朝鮮族男性は、父親から聞いていた話と現在、中国の記事で紹介されているリンゴ梨の歴史は、ほぼ一致していると話す。

 リンゴ梨は、当時、曽祖父とともに朝鮮から龍井へ移住していた崔昌浩(チェ・チャンホ1897年-1967年)氏が生みの親とされる。

 1921年、日本海に面する朝鮮・北青(現 北朝鮮・咸鏡南道北青郡)へ遊びに行ったときに弟が持ち帰った梨の木を4月、庭のヤマナシへ接ぎ木したという。試行錯誤を経て、6年後の27年に3株で花を咲かせ、秋に実をつけることに成功した。当時は、大梨と呼ばれていたようだ。延辺の厳しい冬にも耐えられる品種だった。

零下32度でも耐えられるリンゴ梨

零下32度でも耐えられるリンゴ梨

リンゴ梨花祝祭を伝える「中新社吉林分社」ウェイボー投稿

零下32度でも耐えられるリンゴ梨

 その後はあまり栽培されていなかったが、1950年代になってリンゴ梨が注目されるようになり、栽培が促進されるようになった。そのきっかけは、朝鮮戦争中の1952年に吉林省果物調査班が新種であることを確認、リンゴ梨(苹果梨)と命名したことだった。1958年ごろ延辺の農学院の学生たちが中心となり延辺各地にリンゴ梨の苗を植えて栽培を本格化させた。

 現在では中国3大梨の1つに数えられるほど有名となり、延辺を代表する農産物となっている。現在、リンゴ梨は、マイナス32度の環境、朝晩の温度差が激しい海抜300メートルほどの丘陵でも栽培でき、延辺の厳しい冬でも耐え抜くことができる。

リンゴ梨が少し酸っぱい理由

 1958年に誕生した3株の原木のうち2株はすでに枯れ、老株1株のみ残っているが、状態が非常に悪いために保存が必要だと訴える記事が2011年の黒竜江新聞に載っている。その後、最後の原木はどうなっているのか確認できない。

 「5月の龍井はリンゴ梨の甘い香りで包まれて春の訪れを感じます。リンゴ梨は故郷の味で、寒さの厳しい冬の間に栄養と水分を取るために延辺人には欠かせないものです。子どものころからキムやカクテギと一緒に食べたり、冷麺に入れて食べてきました。リンゴ梨は、日本人の味覚だとちょっと酸っぱいと感じるかもしれません。その理由は、熟す前の9月ごろに収穫するからです。よく熟す11月頃に収穫すればもっと甘みを増しますが、延辺の11月は極寒で風が強いので、その前に収穫する必要があるからです。ですので、収穫して、数か月ほど経ってから食べるのが一番美味しいんですよ」(前出の朝鮮族男性)

 調べると日本でも奈良県の農家が、毎年150個限定でリンゴ梨を栽培して販売している情報を見つけることができる。一体どんな味なのか、ぜひ食べてみたいものだ。


龍井の地名の起源となった井戸を示す記念碑

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