「このままでは島が韓国に乗っ取られる」島民が抱く不安

「このままでは島が韓国に乗っ取られる」島民が抱く不安

1992年に建てられた朝鮮国通信使之碑(対馬市厳原町)

 対馬と韓国の距離は約50キロ・メール、日本本土よりもよっぽど近い。韓国第2の都市・釜山との間には高速艇が就航し、所要時間は1時間10分。コロナ禍以前には年間40万人を越える韓国人観光客が押し寄せていた。島にはハングルの看板もあふれ、また、土地を買いあさる韓国資本の活動も目立つという。

「このままでは島が韓国に乗っ取られる」

 このような不安を抱く島民も少なくない。実際、韓国は対馬の乗っ取りを画策しているようである。いや、韓国側からすれば乗っ取りというよりも「奪還」だろうか。

対馬の領土権を主張する根拠とは?

 日本人が竹島は韓国によって不法占拠されていると考えるように、韓国人の間でも対馬は歴史的に見て韓国固有の領土であり、日本が不法占拠している。と、そう考える者が多い。

 島根県が「竹島の日」を制定した2005年には、これに対抗して対馬海峡に面する韓国・馬山市が6月19日を「対馬の日」に制定し、その領有権を主張している。また、独島博物館の入口には「対馬は我々の領土」と刻まれた碑文も設置されている。

 韓国が対馬を自国領とする根拠は、1419年に起きた「応永の外寇」にある。李氏朝鮮は朝鮮沿岸を荒らしていた倭寇を討伐するため、その根拠地である対馬へ軍勢を派遣した。「対馬の日」に制定された6月19日も、軍船が対馬に向けて船出した日にあたる。

 この時の朝鮮軍は対馬の領主・宗氏によって撃退され、島を実効支配することはできなかった。朝鮮領とする根拠は薄い。が、この後に対馬と朝鮮は断交。田畑が少なく慢性的な食料不足の対馬では、古来より朝鮮との貿易に頼って不足する食料を輸入していた。それだけに断交されると死活問題だ。

 そこで宗氏は、朝鮮王朝に使者を派遣して臣従を誓った。朝鮮王は対馬の朝鮮への帰属を認めて貿易を再開したという。いわゆる朝貢貿易であり、朝鮮への帰属は貿易再開のための方便。この後、宗氏は豊臣秀吉の臣下となり、文禄・慶長の役では先鋒となって朝鮮軍と戦った。幕藩体制下では対馬府中藩として徳川家に臣従、そのまま明治維新を迎えている。

 歴史的に考えて、対馬を韓国領とする根拠は薄い。日本固有の領土と考えるのが無理のないところだろう。しかし、韓国人の思考回路ではそうならない。

竹島と同様に韓国は対馬の占領も狙っていた

竹島と同様に韓国は対馬の占領も狙っていた

浅茅湾(あそうわん) 出典 対馬観光物産協会

 太平洋戦争終戦から2か月が過ぎた1945年10月に、旧朝鮮総督府の高官だった鄭文基が対馬の朝鮮領併合を主張した。1419年の李氏朝鮮による対馬侵攻が、その根拠になっていたという。さらに、1948年に大韓民国が樹立されると、初代大統領・李承晩は対馬の返還を要求する声明を発表した

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