慰安婦少女像を巡って深夜4時間の攻防

慰安婦少女像を巡って深夜4時間の攻防

慰安婦像周辺を陣取る反日行動(著者撮影)

 ソウルの旧日本大使館前に設置された慰安婦少女像の傍らに24時間張り付いて見守る学生団体と慰安婦像の撤去を主張する保守系団体が、今年9月11日の深夜、4時間あまりにわたって衝突したことは、以前の記事「ソウル慰安婦少女像を巡る異常集会 中秋節の連休深夜に肉弾戦の攻防」でお伝えした。

 「少女像を守る」と称して座り込みを続けているのは「反日行動」を名乗る団体で、彼らが活動を開始したのは、2015年12月の「日韓慰安婦合意」がきっかけだった。

 この合意の中に、慰安婦少女像の早期撤去という内容が含まれていたことに反発し、合意発表直後の12月30日に慰安婦像の近くにテントを張り座り込みに入った。

 その頃は「反安倍反日青年学生共同行動」を名乗っていたが、2020年9月に安倍首相が病気を理由に退陣すると「反日行動」に改称した。

 この反日行動のメンバーは、実は「民衆民主党」という極左政党に所属し、この政党の前身は「自主統一と民主主義のためのコリア連帯」という、いわゆる「従北」左派団体だった。

コリア連帯から民衆民主党へ

コリア連帯から民衆民主党へ

慰安婦問題を巡る日韓合同シンポジウムで朴舜鐘さん(右から2人目・著者撮影)

 以前の記事で紹介した「慰安婦問題を巡る日韓合同シンポジウム」(11月16日、国際歴史論戦研究所が主催)に韓国から参加したフリージャーナリストの朴舜鐘(パク・スンジョン)氏が明らかにしたものだ。

 この「コリア連帯」は、韓国の大法院(最高裁)が2016年10月、「利敵団体」に当たると認定し、その代表者3人を国家保安法違反で有罪としている。この判決直後にコリア連帯は解散し、その後を引き継いだのが民衆民主党
だった。

 利敵団体とは「反国家団体(北朝鮮を指す)の活動を賛美・鼓舞・宣伝、もしくは同調し、国家の混乱を画策、扇動することを目的とした団体」とされ、コリア連帯は思想的には北朝鮮の主体(チュチェ)思想を信奉し、北朝鮮式の社会主義の実現を目指し、民族解放と在韓米軍の撤退などを要求し活動してきた。

 また2011年、金正日(キム・ジョンイル)総書記が死去すると、共同代表の1人を政府の承認を得ずに平壌に派遣し弔問させたほか、2013年にはドイツで北朝鮮の統一戦線部所属の工作員と会合するなどの「利敵活動」を行った容疑で起訴された。

コリア連帯は利敵行為を行う反国家団体

 またコリア連帯は、1992年の「南韓朝鮮労働党中部地域党スパイ事件」に関わったことでも知られる。

 「中部地域党スパイ事件」とは、北朝鮮スパイの指揮のもとで、工場の労働者などを抱き込んで武装勢力を組織し、学園・労働・言論・文化界へ組織員を浸透させ、北朝鮮からの指令を受け、韓国の国内情勢を内通し、金日成(キム・イルソン)・金正日父子を賛美するパンフレットなどを制作したとされる事件で、当時の国家安全企画部(KCIA)に摘発され、62人が逮捕されるなど、韓国建国以来最大の公安事件として知られている。

日朝国交正常化交渉の裏で北朝鮮は慰安婦問題に目をつけた

 実は、こうした公安事件が進行していた1990年代はじめは、慰安婦問題が日韓両国の外交問題として本格的に浮上する時期でもあった。

 挺対協(挺身隊問題対策協議会)が組織されたのが1990年11月。

 慰安婦として最初に名乗りを上げ、日本政府を相手に訴訟を起した金学順(キム・ハクスン)氏の記者会見が行われたのは1991年8月。

 1回目の水曜集会が行われたのが1992年1月だった。

 前述のシンポジウムでの報告で朴舜鐘氏は、金学順氏の証言が行われた1年前の1990年9月、自民党(金丸信団長)と日本社会党(田辺誠団長)の代表団が訪朝して金日成主席と会談、朝鮮労働党との間で「3党共同宣言」をまとめ、日朝国交正常化への議論が始まっていたことに注目する。

 当時、北朝鮮は国交正常化交渉で日本から賠償金を獲得することを狙っていた。そのためには、彼らの対日外交を妨害する恐れがある韓国内の勢力を排除し、日本と韓国が手を結んで北朝鮮に対抗する事態を避ける必要があった。

 そのために日韓を離間させ、国民を互いに歯向かわせるための手段として目をつけたのが「慰安婦問題」だったというわけである。

 その後の慰安婦運動30年は、北朝鮮の核・ミサイル開発の歩みと重なり、日本人拉致事件の真相究明が進められた時期でもあった。

 つまり、核・ミサイル開発や日本人拉致事件の解明が進むと、それらから目をそらさせるかのように慰安婦問題が持ち出されてきたのである。

不可思議な韓国 慰安婦団体や反日組織は何のために活動するのか?へ続く。

小須田 秀幸(こすだ ひでゆき)
NHK香港支局長として1989~91年、1999~2003年駐在。訳書に許家屯『香港回収工作 上』、『香港回収工作 下』、パーシー・クラドック『中国との格闘―あるイギリス外交官の回想』(いずれも筑摩書房)。2019年から2022年8月までKBSワールドラジオ日本語放送で日本向けニュースの校閲を担当。「ノッポさんの歴史ぶらり旅」をKBS日本語放送のウェブサイトとYouTubeで発表している。

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