韓国は日本と違い人権国家の道を進む?

韓国は日本と違い人権国家の道を進む?

フォンニィ・フォンニャット村の虐殺の生存者グエン・ティ・タンさん(中央) 出典 Jjw [Public domain], via Wikimedia Commons

 ベトナム戦争中の1968年、参戦した韓国軍部隊がベトナム中部のフォンニィ・フォンニャット村で住民74人を殺害する虐殺事件があった。

 この事件の生存者で当時7歳だったベトナム人女性が、2020年、韓国政府を訴えた損害賠償請求訴訟で、ソウル中央地裁は2月7日、原告勝訴の判決を言い渡した。

 慰安婦問題で日本政府の謝罪や法的責任を追及している「正義連」(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)の李娜榮(イ・ナヨン)理事長は、判決翌日の水曜集会で、「大韓民国人権史の里程標となる今回の判決を契機に、ベトナム戦争当時の民間人虐殺の真相が徹底的に究明され、政府レベルの責任認定と公式謝罪、法的賠償が行われるよう望む」とし、「韓国は、戦争犯罪を否認する日本の轍(てつ)を踏まないで、人権国家として歩む機会を得た」と賛辞を贈った(「正義連」第1582回定期水曜デモ週間報告)。

 ところが、韓国国防省の李鐘燮(イ・ジョンソプ)国防相は2月17日、国会での答弁で、「ベトナム派兵韓国軍による民間人虐殺はまったくなかった」と事件を真っ向から否定、政府の賠償責任を認めた司法判断に同意しないとして控訴する方針を示した。

 正義連の李理事長が宣言した「韓国人権国家への道」は早くも前途が見えなくなった。

ベトナムでの韓国軍による民間人虐殺事件とは

 ベトナム戦争では、農村やジャングルに紛れた南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)のゲリラを探し出し殲滅する「Search & Destroy=『索敵殺害』」という作戦が行われた。

 米軍が空からナパーム弾を投下し森を焼き払う一方、地上では韓国軍が農村をしらみつぶしに捜索し、ベトコンの武器を押収する掃討作戦だった。

 この過程で、韓国軍に示されたのが「きれいに殺して、きれいに燃やし、きれいに破壊する」というスローガンだったと言われる(村山康文『韓国軍はベトナムで何をしたか』小学館、2022年)。

 何やら、旧日本軍が中国大陸で行ったとされる「三光作戦」=殺し尽くす(殺光)、焼き尽くす(焼光)、奪い尽くす(搶光)を想起させるが、日本語では「光」の字に「~し尽くす」という意味はない。

 つまり、完全に中国側が作った言葉であり、韓国も同じような発想を持っていたことがわかる。

民間人虐殺は80件、9000人が殺害された

 韓国のベトナムへの派兵は、1964年9月から始まり、戦況が悪化するにつれ戦闘部隊を次々に投入し、1973年3月の撤退までに、その総数は述べ32万5500人に上り、米国に次ぐ大量派兵となった。

 韓国軍によるベトナム戦争での民間人虐殺問題は、韓国では1999年に「ハンギョレ新聞」による一連の調査報道で、具体的な事実が初めて明らかにされた。

 ハンギョレ新聞の調べでは、1966年10月から1968年2月にかけてベトナム中部のクアンナム省やクアンガイ省など5つの省12の県で起きた韓国軍による虐殺事件の現場は80件あまりを数え、犠牲者は合わせて9000人に上るという(ハンギョレ新聞2016年10月25日「『ベトナム虐殺』大韓民国は被告席に座るか」)

韓国を貧困から脱出させてくれた「英雄」?

韓国を貧困から脱出させてくれた「英雄」?

2018年に開かれた模擬法廷「ベトナム市民平和法廷」 出典 Jjw [Public domain], via Wikimedia Commons

 韓国軍のベトナム派兵は、朝鮮戦争による荒廃からの復興資金を得るため、派兵の見返りに外貨を獲得し、経済成長を推進するという目的があった。

 1965年から72年までのいわゆる「ベトナム特需」の総額は、韓国財閥企業の経済進出を含めて10億2200万米ドルと試算されている。

 そのため、ベトナム参戦兵士は、韓国を貧困から脱出させてくれた「英雄」として扱われ、虐殺事件に触れることはいまだにタブー視されている。

国家報勲処を「省」に格上げし手厚く処遇

 そうした中、韓国の国会では、独立運動家の子孫や退役軍人への処遇や愛国心を高める活動を担当する「国家報勲処」を「省(部)」に格上げする政府組織改正案が与野党によって合意された。

 在郷軍人会など退役軍人の組織は、保守政権を支える牙城でもあるが、彼らの声により積極的に応え、手厚く処遇していこうという姿勢を示したことになる。

 国民の間の愛国心を高め、国家の統合を保つためには、ベトナム参戦兵士は“英雄”として、これからも称え続けなければならず、そのためにもベトナムでの民間人虐殺は認めるわけにはいかないのである。

 正義連の人たちが言うように、「日本のてつを踏まず」道徳的高みに立とうとする“韓国人権国家”の実現は、はるかに遠い道のりだと言わざるを得ない。

小須田 秀幸(こすだ ひでゆき)
NHK香港支局長として1989~91年、1999~2003年駐在。訳書に許家屯『香港回収工作 上』、『香港回収工作 下』、パーシー・クラドック『中国との格闘―あるイギリス外交官の回想』(いずれも筑摩書房)。2019年から2022年8月までKBSワールドラジオ日本語放送で日本向けニュースの校閲を担当。「ノッポさんの歴史ぶらり旅」をKBS日本語放送のウェブサイトとYouTubeで発表している。

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