このように朝鮮人を危険視、差別視してきた歴史から、いつの間にか朝鮮人という用語自体がアンタッチャブルなものと捉えられるようになったのではないか。残念なことに、日本人の差別意識が内面化し、在日朝鮮人側も「私は朝鮮人」と公言することをはばかることが多くなったと聞く。
 

説3 韓国への配慮が浸透した可能性

 3つ目は、日本社会で「朝鮮語」という語を「韓国語」と徹底して修正してきた経緯が関係しているという可能性だ。これは韓国側の立場に対する配慮である。

 たとえば、1982年にNHKが語学番組「朝鮮語講座」を開設しようとした際、韓国の同胞団体である民団は「韓国語という呼称を用いるべき」と主張した。結果的にNHKは南北双方に配慮し「ハングル講座」という名称に変更し、その後の報道では韓国語、朝鮮語のいずれの表現も避けるようになった。「ハングル」は文字そのものを指すもので本来適切な表現ではないが、苦肉の策であったと言える。

 また、大学入試センター試験科目への朝鮮語導入の際も言語名が問題になり、結果的に試験科目としては「韓国語科目」となっている。

 このような経緯から「朝鮮という用語を使用することは適切ではない」という考えが長年にわたって浸透したことが遠因となっている可能性がある。

多様な呼称は在日朝鮮人・韓国人たちの歴史の反映

 上記3つの朝鮮呼称を巡る歴史的背景をはじめ、様々な要因が絡み合って日本人が朝鮮人という言葉にためらいを感じるようになったと考えられる。

 また今回は日本人側の視点のみで語ったが、当事者の在日朝鮮人・韓国人たちが数ある呼称の中からいずれを選ぶかは自己規定の問題であり、非常に重要なテーマである。先に述べたとおり中には差別をおそれて朝鮮人であることを隠して「自分は韓国人です」と名乗るケースもあり、問題は複雑である。

 多様な呼称は在日朝鮮人・韓国人たちが差別や偏見など厳しい立場に置かれてきたことの反映とも言え、歴史とともに呼称問題について考えていく必要がある。

八島 有佑
@yashiima

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