この時期には、金日成の唯一領導体制が確立されていく過程で党内思想闘争(=反宗派闘争)が起こった。1952年12月15日の朝鮮労働党中央委員会第5次全員会議では、「マルクス・レーニン主義をわが国の現実と結び付けて研究しなければならない」とし、その後全党的な思想闘争がおこなわれた。その過程で朴憲永、李承燁、林和らいわゆる「火曜派」が「政府転覆陰謀事件」により摘発され、粛清された。1956年8月の党中央委員会8月全員会議では、「延安派(ML派)」が更迭され、「マルクス・レーニン主義を創造的に学習し、わが国の現実に結びつけ、その理論を研究発展していく事業に一層大胆性を発揮しなければなりません」という決定がなされた。そして、1958年3月の第1回朝鮮労働党代表者大会では、反宗派闘争を総括し、勝利を宣言した。

 この時期の研究成果としては、史料収集と古文献の復刻・翻訳や朝鮮歴史の時代区分などが行われたことなどが挙げられる。
 
 第3期は、1968年から1970年代までの「主体的歴史学の確立」期である。
 
 1967年5月の党中央委員会第4期第15次全員会議では、「米帝の思想文化攻勢による党内の修正主義的傾向と南朝鮮、祖国統一に対する右傾投降主義的傾向を批判」し、「党の唯一思想体系を確立する。そのためには、主体思想教養、党政策教養、革命伝統教養を強化し、全党、全国、全軍が党中央の唯一的領導下で一つのように動く強い組織規律を立てる」ことが決定され、主体思想が確立した。1974年2月には、「金正日同志が党中央委員会政治委員会政治委員に推戴」され金日成主席の後継者としての地位を確立した。
 
 歴史学界では、1968年以後、社会科学院各研究所の機関誌刊行が停止され、この時期の共和国の歴史研究について詳細は不明である。70年代以降、共和国では現代史の再検討が行われ、領袖・党・人民の三位一体の原則を方法論として、現代史の始点を1926年10月17日の打倒帝国主義同盟(とぅどぅ)の結成からと見るようになり現在に至っている。また、1970年に発表された「朝鮮におけるブルジョア革命運動」(『歴史科学論文集』1、社会科学出版社)では、甲申政変がブルジョア革命であるという説を唱えているが、その後、1984年12月4日の『労働新聞』に掲載された12月3日の「甲申政変100周年科学討論会」では、ブルジョア改革説に戻っている。

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