ただ、「強制があった」とする人たちが言う「広い意味での強制性」までは否定していないと読める。

 西岡氏は、河野談話に代わる新談話を出すべきだと主張しているが、すでに国際的に定着しており、難しいだろう。
 

強制あったかよりも「記憶」することが大切

 さて「強制性はあったのか?」の質問には、今のところ、こう答えるのがいいのではないか。

 「日本政府によれば、暴力的な方法で慰安所に連れて行ったという資料は見つかっていないが、河野談話の中には慰安所の生活が強制的なものだったと書かれている

 論争している人たちの強制性の意味は違っており、いつまでたっても平行線になることだろう。だから、こう付け加えたい。「このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」

 これは、河野談話の結びの一節でもある。

五味 洋治(ごみ ようじ)
1958年長野県生まれ。83年東京新聞(中日新聞東京本社)入社、政治部などを経て97年、韓国延世大学語学留学。99~2002年ソウル支局、03~06年中国総局勤務。08~09年、フルブライト交換留学生として米ジョージタウン大に客員研究員として在籍。現在、論説委員。著書に『朝鮮戦争は、なぜ終わらないか』(創元社、2017年)、『金正恩 狂気と孤独の独裁者のすべて』(文藝春秋、2018年)、『新型コロナ感染爆発と隠された中国の罪』(宝島社、2020年・高橋洋一らと共著)など、近著『金正恩が表舞台から消える日: 北朝鮮 水面下の権力闘争』(平凡社、2021年)。
@speed011

記事に関連のあるキーワード

おすすめの記事

こんな記事も読まれています

コメント・感想

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA