ユネスコへの申請に韓国が反対する理由

ユネスコへの申請に韓国が反対する理由

注目を集める佐渡島の佐渡金山

 佐渡の金山。時代劇の中で見かける程度だった新潟県にあるこの鉱山跡が、国際的な注目を浴びている。

 日本政府が、この場所を世界文化遺産として、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)に申請したからだ。

 今後は国際記念物遺跡会議(ICOMOS)から派遣された専門家が現地で調査を行う。ICOMOSは、世界の歴史的な記念物および遺跡の保存に関わる専門家の国際的な非政府組織だ。

 ところが、すんなりとは登録が決まりそうにない。韓国が反対しているからだ。佐渡で朝鮮半島出身者の「強制労働」が行われており、これに触れないままの登録は問題だとしているのだ。

戦争末期に来た若者たち

 佐渡の金山の最盛期は、江戸時代だった。しかし、明治維新後、大蔵省などに移管され、1889年には宮内省御料局の所管となった。さらに1896年には三菱合資会社に払い下げられた。

 1931年に起きた満州事変後、佐渡から出る金に関心が集まった。

 大量の軍需物資を輸入する決済手段として使えるからだ。しかし、太平洋戦争が始まると、海外から物資を調達できなくなり、金の必要性は薄れ、変わって国内での兵器製造などに必要な銅、鉄、亜鉛、石炭の増産が必要になった。

 佐渡では、金だけでなく銅も掘られていたため、生産増強が図られた。朝鮮人労働者が、佐渡で働き始めるのも戦争がきっかけで、この銅山での話だ。

 日本国内の若者が徴兵によって減り、その分を朝鮮半島からの若い労働力で補う必要があった。

 この時、日本は朝鮮半島を植民地としていたため、朝鮮の人たちも当時は「日本人」だった。さらに初期には、募集などに応じて佐渡に来ている。三菱側も実績を上げるため、待遇改善に努力した跡もあり、強制労働とまで言えるかは、様々な見方がある。

 佐渡金山を世界遺産に推す人たちは、「強制労働などなかった」と反論する。

 松野博一官房長官も「言われなき中傷に毅然と対応する」と、韓国との「歴史戦」に強気だが、旗色は良くない。

国の動員は「強制連行と同じ」

 その理由は、佐渡で朝鮮半島の人々に対する苛酷な待遇があったと認める文書がいくつも残っているからだ。

 その1つは新潟県が出版した「新潟県史」の「通史編8 近代3」だ。

 782ページには、「朝鮮人強制連行と新潟県」との見出しで、次の記述がある。

 「昭和14年(1939)に始まった労務動員計画は、名称こそ『募集』『官斡旋』『徴用』と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった」

佐渡金山の歴史戦で日本政府が隠したい「資料」(2)重労働に配置へ続く。

五味 洋治(ごみ ようじ)
1958年長野県生まれ。83年東京新聞(中日新聞東京本社)入社、政治部などを経て97年、韓国延世大学語学留学。99~2002年ソウル支局、03~06年中国総局勤務。08~09年、フルブライト交換留学生として米ジョージタウン大に客員研究員として在籍。現在、論説委員。著書に『朝鮮戦争は、なぜ終わらないか』(創元社、2017年)、『金正恩 狂気と孤独の独裁者のすべて』(文藝春秋、2018年)、『新型コロナ感染爆発と隠された中国の罪』(宝島社、2020年・高橋洋一らと共著)など、近著『金正恩が表舞台から消える日: 北朝鮮 水面下の権力闘争』(平凡社、2021年)。
@speed011

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